中田の話を聞き終えた巌は、
「ナカさんよ、わしゃ金はもう帰って来んと思うがの。株券もとっくに金に変えてあると思うの。他には何もないんか、よう思い出してみ。取り返せるもんは取り返してきたるから」
株券を登志子がどこに売り飛ばしたのかは疑問だが、まともなところではないはずである。戻って来ることはまず考えられなかった。
他に中田が思いだせるものは何もなかった。あるのは携帯と給油カードくらいのものである
「それでもええ。家はどこかの、わしが行って来る」
巌爺さん、久し振りに癪に障る相手だった。田舎の年寄りをターゲットにする結婚詐欺師まがいの泥棒だと断定した。
登志子は今時間ならいるはずだという。その中田が一緒に行くと言うのを断った巌は、母屋に走り猪下に電話を入れた。
「イノさんよ、ちょっとすまんが、車を回してもらえるかの。あんさんは運転手」
いきなりやられた猪下はびっくりした。
「イワさん、何事かの」
「ええから、さっさと来る」
いつもならカブに飛び乗る巌だったが、したたかな女相手に一人では何を言われるか分からないという思いがあった。
間もなく滑り込むように駐車スペースに侵入して来た猪下の車。それに飛び乗った巌は、ドアを閉めるのももどかしく、行き先を告げた。
女はもうそこにはいないかもしれない。その思いが巌を急かしていた。
登志子は当然とっくにそこを引き払っていた。引き払ったのは中田に電話を入れた翌日である。県北の観光地にある旅館の仲居の口を都合してもらい、軽トラで充分間に合うわずかな荷物とともに行方をくらませたのだった。
本当は登志子は県境を越えようと思っていた。が、ずっと以前から頼んでいたにもかかわらず、いくら聞いて回ってもすぐに口があったのは、そこだけだった。中田が自分の犯行に気付かないうちに逃げる必要があったため急遽そこに決めたのだった。
女の住まいがもぬけの殻と知った巌はすぐ自宅に取って返し、中田を拾うと被害届けのため警察に駆け込んだ。そこで巌たちは初めて登志子が手配中であることを知ったのである。容疑は巌が睨んだとおり、窃盗であり、何件もの被害届けが出されていた。
登志子は本人確認が必要なものなどには手をつけないで、不法であってもすぐ現金にできる手軽なものだけを狙う詐欺師であり、窃盗犯だったのだ。
いろんな意味で登志子は住む世界が違う人種と言えた。
手配写真でその顔を初めて見た巌は、犯罪者然としてはいたが、なるほど中田には惜しいくらいの女だ、と思った。
全てを知ってしまった中田の驚愕振りは並大抵のものではなかった。付き添った巌と猪下にもなす術はなかった。カードなど登志子が持ち去ったものは全部紛失届けを出させたが、確実に間に合ったのは携帯と給油カードくらいのものである。
そして巌の家の玄関先で懸崖が満開になった頃、登志子はついに御用になった。仲居として渡り歩く登志子は中田が被害届を出したときには、すでに捜査の網の中に入っていたのだ。
登志子は窃盗で得た金を衣装や遊興費などに使い果たしては、新しい獲物を狙うことを繰り返して来た女であった。中田が市街地で見掛けたとき登志子はすでに狙っていた財産を掠め取ったあとであり、おいしいところがないと分かっている中田などに付き合って遊ぶ気などなかったのである。
被害に遭った金は刑事訴訟ではどうにもならないと聞かされた中田は、警察署であれほどの狼狽振りを見せたにもかかわらず、
「ええんよ、イワさん。わしゃ、恨んではおらん。あんな女じゃったけど、あれも寂しい奴だったんよの。あの女のおかげで、わしゃええ夢を見させて貰うた。おかあが死んで寂しかったんよの、わしも。さいわい葬式代や入院費用だけは息子に預けてあったから無事だったんよ。死ぬときの準備をおかあがしてくれとったのよ」
巌の庭先でカラカラと笑って報告した。
「あとは何とか生きていけりゃあそれでええ」
と中田は自分が丹精こめた鉢を見ながら呟く。
「なあ、ナカさんよ。ジジイになったら金にきれいな付き合いがええよのぉ」
巌は、ふふ、と笑ってそれに応えた。
若い頃のように女にしてやれなくなる、それが当たり前なのだ、と巌は思っている。金をかけなくても、お互い楽しい時が過ごせるのならば、それが一番よいのだ。
それから数ヶ月のち、懲りたのかと思いきや、中田は新しい女をシビックに乗せて巌の離れを訪れた。やっと踏ん切りがついたのであのオンボロ車は売ったのだ、と言う。
助手席の女をじっと透かし見た巌は、なんとなく納得できるものを感じた。年のころは登志子と変わらないが、登志子と違ってその女からは専業主婦として真面目に生きてきた匂いが漂っていた。
「イノさん、今度は大丈夫よ」
中田が去ったあと、巌は土間に座り込んでいた猪下を振り返り、ンフフ、と笑った。
そうか、と猪下もにんまりした。
中田はそれから間もなく、そのときの女を妻に迎え、夕方になれば何の変哲もない田舎道を二人で散歩するのだった。(完)
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