FC2ブログ

始発駅

「イチコの選択」では大変お世話になりました。無事連載を終えた今、このブログで何ができるのかを考えています。のんびりお付き合い頂ければ幸いです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

醜態(28)

 「ババアがどうかしたのか?」
 イチコの怒気に驚いた長男は奥の部屋から飛び出して来た。
 「自分の取り分を証明してくれってさ」
 「は? この間の公正証書? そんなことできるの?」
 「できるわけないでしょうが」
 イチコは思わず声を荒げた。
 「オメエ、怒鳴るなよな、オレに。あのババア、自分のことばっかりだな。いっつもあたしよあたしって感じでさ。解釈も少しおかしくねえか? 普通じゃねえぞ。自分が使ったもんくらい自分で払わせろよ。オメエが甘いんだって。だから調子こくんだ、あのババア」
 解釈がおかしい、という長男の感想は妙にイチコを共感させた。脳裏に、まだ生きているもう一枚のメモのことがよぎった。六百三十の本来あるべき彼女の債務のことである。
 これで公正証書を作成しても全然違法ではない。どうなるか分からない債権を抱えてこれから二十五年間も浅見とつきあうということは、彼女にも同じだけ付きまとわれるということになりかねない。そんなことになるくらいなら、先生に作成してもらって、最初から望んでいたとおり二人からさっさと回収してしまいたい、とイチコは思う。
 浅見を騙していることもイチコは心苦しかったのであるが、自分だけでなく先生までコケにする彼女に腹が立ってかなわなかったのである。彼女の横車に乗ってしまったことを後悔していた。
 しかし、はたして六百三十の証書作成をそうでなくても解釈のおかしい彼女に分かるように説明できるのか、その自信がないイチコはしばらく決断を迷った。
 
 ビルの谷間を吹き抜ける朝夕の風が日中の陽気に比べ肌寒さを感じ始めた頃のことである。
 早朝でも普通ではありえない時間帯に家の電話が鳴った。久し振りの非常識な電話である。まだ眠っていたイチコは飛び起きると、サイドボードの子機をひったくるように取り上げ、電源を押した。
 「もしもし」
 いつもどおり先に応答する。
 「おお」
 間違いなく宮下の声だった。
 「そっちに刑事が行くかもしれんのや。あいつら、オレの金をねらっとるんや」
 「あ?」
 一瞬、国税局の間違いか、とまだ覚めやらぬ意識の中でイチコは思った。ヤクザ稼業の彼らは税金など一切払わないのだから、国税局に付きまとわれてもおかしくない。「オレの金」という表現もイチコにはおかしかった。
 「金を預けるから俺の口座をそっちで作ってくれ。俺の印鑑があるやろ? それでしてくれ」
 「あのデカイの?」
 「おお、あれや。金は今日中に持って帰る。ええな?」
 宮下の口座は自分には作れない。自分と宮下との関係を証明するものが何もないのだ。しかし宮下に有無を言わさぬ切迫したものを感じたイチコは逆らわなかった。金額も百や二百ではなかったのである。
 「何時ごろ?」
 「わからん。とにかく家におってくれ」
 「わかった」
 最悪なら息子の口座に入金するしかない。自分の口座では機嫌が悪かろうと思った。金庫から小さく丸めた茶封筒を出した。次男が入院して以来、何年振りかで取り出された水晶の印鑑だった。
 何年も顔も見ていないのだが、宮下の寝ているときの横顔が目に浮かんで来る。そっちのヨメに頼めよ、とイチコは胸の奥で呟いた。
 駄目元でも確認だけは取らねばなるまい。イチコは一番近い銀行に開店と同時に駆け込んだ。勝手なことをして宮下に変に疑われたくなかったのである。
 むろん結果はノーだった。分かってはいたが、これでイチコは予定どおりに連絡を取って宮下に息子の口座を使う許可をもらうことができる。
 銀行の駐車場の隅で携帯から事務所に連絡を入れた。こんなときは宮下の携帯に着信が残らない方がよいのである。
 電話番はいつもどおりすぐ出て来た。
 名前を告げ、宮下の安否を訊く。
 「ああっ、もう連れに来た後ですわ」
 いつもの男が上ずった声を出した。
 「そう、何時ごろ?」
 「朝一ですね、六時半くらいだと」
 家に電話があってからたいして間がなかった。
 「そっちどうですか? 行ってないですか?」
 「まだよ。これからだと思うわ。容疑は何? 金融?」
 「ええ、たぶんそうやったと。無免許でっしゃろ」
 「無免許? 免許の書き換えはどうしたの、していないの?」
 「さあ、ワシにもちょっとそのへんは・・・・」
 今回もたいした事件ではなさそうだった。事件が久し振りなだけである。刑事が本当に来るのかどうかは疑わしかったが、用心に越したことはなかった。
 「何かあったら連絡をお願いします」
 イチコは電話番の男にそう言い置いた。
 

FC2 Blog Ranking
ブログランキング・にほんブログ村へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。