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始発駅

「イチコの選択」では大変お世話になりました。無事連載を終えた今、このブログで何ができるのかを考えています。のんびりお付き合い頂ければ幸いです。

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醜態(35)

 一つの事柄に対して二人の人間が違うことを言うことはよくあることである。
 そのずれがわずかな場合はまだ両者の言うことを照合することで真実を探し当てることが可能である。
 ではまったく違う場合はどうするか。事情を知っている第三者がいる場合はその者が加わってくれることで照合が可能になる。
 しかし、第三者もいない場合は、どうにもならない迷路を彷徨うことになる。

 師走を間近に控えた月末、恒例の生活費受け渡しの日のことである。
 宮下は最初、普通に話していた。
 「それはそうと、おまえ」 
 ここまではよかった。
 「まだババアと付きあっとるやろうが、おお、こらぁ」
 その声の大きさにイチコは思わず受話器を耳から遠ざけた。怒鳴るというよりも、がなるという感じである。慣れているつもりでも、いきなりやられるとさすがに怖かった。
 ヤクザ稼業の者は怒鳴るとき腹から声を出す習性があるのか、傍にいると周囲の空気が振動するのを感じることができるほどである。
 遠ざけた受話器から聞こえるがなり声がゆるむのを待つしかない。
 宮下が一息つくのを聞き届けてからイチコは声を掛けた。
 「なんでいつも怒ってるのよ」
 「おっ、おまえがババアと付き合うからや。あれだきゃあ、ほんまぁ。怒り上げてやったんや、下ん子が事務所に来たときよ。あとで怒り飛ばしてやったわ、腹の立つ、金引っ張ることばっかししやがって」
 約二年前次男が宮下から五万円を貰ったときの話だ。
 あのとき不二子さんは宮下がお礼の電話をくれたと言ったのだが、これでは正反対である。お礼を言ったのと怒ったのとでは、あまりにも差があり過ぎた。
 「あれだきゃあ。あれが何か言うて来たらろくなこたあないわ。恩を着せて金を引っ張るんや」
 宮下の口調は平常にもどっていた。
 この日の宮下はこの一件を持ち出しただけである。
 イチコは真相を問い正してみる勇気もなくぼんやりしていた。気が付くと長男が生活費の入った封筒を持って帰っていた。
 鼓膜の奥で、いかにも嬉しそうに知らせて来たあの日の不二子さんの息遣いが振動しているような錯覚が起きる。
 両者のうちどちらかが嘘つきなのだ。
 こんな嘘をつくことに利益があるのは不二子さんの方だ、と迷路の中で抗っているイチコの勘は告げていた。実は犬猿の仲なのだが、イチコを引き寄せておくためには宮下に信頼されているところを見せる必要がある、という見方が妥当のように思えるのだ。してみると「あたしに本当のことを言わなくなるから」と言ういつかの彼女のことばが思い出される。
 イチコの彼女に対する感情は日を追うごとに憎しみに変わって行った。子供のことで嘘をついた彼女は許せない存在だった。
 
 実際は誰も証言する者がいないのだから、どちらにも確認しようのない嘘である。
 しかし嘘の内容が内容だっただけに二人の板ばさみになったイチコの感情は制御できる限界をすでに超えつつあった。
 そして翌月。
 街中がすっかりクリスマスシーズンに染まった頃、不二子さんからごくありきたりな、それでいてイチコの感情を逆なでするような電話が掛かって来る。
 
 
 
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