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始発駅

「イチコの選択」では大変お世話になりました。無事連載を終えた今、このブログで何ができるのかを考えています。のんびりお付き合い頂ければ幸いです。

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巌爺さん交遊録3の1

 歩くとなるとさすがに少しきついだろうな、巌はそんなことを思いながらカブにまたがってその坂道を上って行く。
 たいした勾配ではないが、頂上まで行けばかなり長い坂である。
 ひと昔前と違って坂道はアスファルトで舗装されているものの、あたりの段々になっている田畑や集落は何一つ変わっていない。
 坂を上りきったところにはこのあたり一体の集落をほぼ檀家として掌中に納めている寺院がある。
 檀家であることは巌の家も同じなのだが、不幸があるか寺の総代でもしていない限りほとんど来ることのない場所だった。ゆえに巌には何年振りかの懐かしい場所である。
 上っている坂はただまっすぐ辿ってさえいれば寺の正門に案内してくれる。が、途中の分岐点で左の道を選べば住職の居宅に行き着く。
 巌は迷うことなく左にカブの鼻先を向けた。
 濃緑の葉を繁らせた雑木のトンネルが夏の日差しをさえぎり、木漏れ日が路面にちらつく。そのほどよい朝の陽光を浴びながら巌は脇見もせずに前に進んだ。カブの荷台にはみかん箱ほどの大きさの段ボール箱がしっかりくくりつけられている。
 
 頂上に着くと白壁の塀を背に品のいい初老の婦人が佇んでいた。それと気付いた巌がにっと微笑むと彼女も微笑んだ。住職の奥方、艶子である。淡い、ピンクというより桜色のブラウスが色白で薄化粧の彼女を引き立たてている。
 カブから降りた巌はその立ち姿に目を細めた。
 「若いの、ツヤさん」
 その艶子の頭上で中庭のさるすべりが塀の瓦を越えて咲きこぼれている。ショッキングビンクとも言うべきその色彩はいつも盛夏を引き立てる。
 艶子は、ほほ、と唇をすぼめ、
 「あなたこそ。さっきからずっと見ていたのよ、あなたがあがって来るところ」
 いたずらっぽく微笑うと、巌の傍に来て寄り添うように立った。そして、
 「ね、何か分かったんでしょ?」
 巌の腕に軽く手を触れて言う。
 その真剣なまなざしに巌は一瞬たじろいだ。
 ここへの来訪こそ何年か振りだが、艶子とはほんの二ヶ月くらい前に会ったばかりであった。
 まだ暑くなる前のことで、艶子が巌の家にひょっこり寄ったのだ。そのとき艶子から一方的に受けた相談事はずっと巌を悩ませて来た。今でも引き受けたというはっきりした意思があるわけではなかった。
 中庭に入った巌は、ここに来るとそうすることが慣例であるかのように、カブをさるすべりの木陰に停めた。困惑の面持ちでヘルメットを取ると裏山から降り注いで来る蝉時雨がいっそう鮮明になり、山頂の朝の空気が巌の頭の中に染み渡る。
 本堂の方に目をやると、背後の竹林が涼風に揺れ、脇に植えられた楓はまるで心地よい緑の寝床のようだ。
 「ね、お話、中で伺うわ。今日はよく冷えた甘酒があるのよ。お好きだったでしょ?」
 艶子は誘うように身を翻した。
 「いやいや、かまわんでええ。わしゃ、すぐ帰るから。それよりツヤさん、もらった野菜が余ってな、持って来たのよ。降ろして帰ってもええかな」
 巌は荷台のゴム紐を解き、段ボール箱を両腕で抱えた。野菜だけは収穫最盛期になるとみんながいっせいに持って来てくれるため余ることもしばしばだった。そうなるとそれをどこに回そうかと巌も忙しいのである。
 「お野菜? うれしい、頂くわ」
 畑を持たない住職の奥方は、にっこり微笑んだ。が、足早に玄関に向かって歩き、引き戸を開けると巌を振り返った。
 こちらに運んでください、ということらしい。
 どうもこのひとにはかなわぬ、巌はそう自覚しながらも艶子と連れ立って中に入る羽目になっていた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
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