始発駅

「イチコの選択」では大変お世話になりました。無事連載を終えた今、このブログで何ができるのかを考えています。のんびりお付き合い頂ければ幸いです。

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試練(8)

 病院を出たイチコは、エンジンを掛けた車の中で携帯を取り出した。手術の予定時刻までにはまだ間があった。入院の準備をするため自宅に帰るつもりなのだが、病院側から保証人の書類を渡されていたので、帰る前に宮下に連絡を取りたかった。
 イチコは宮下の事務所のナンバーを携帯の画面に呼び出し、発信ボタンを押した。宮下の携帯に掛けるより事務所の方が確実に宮下を捕まえられるのである。仕事で打ち合わせ中だったり、どこかにしけこんでいたりしたら、応答してくれないのである。
  呼び出し音がぴたっと一回で止まり、それと同時に、
 「はい。宮下」
 威嚇するような声が応答に出た。さすがに対応が早い。それは聞き覚えのある電話番の男の声だった。イチコが名乗ると、ころっと声の調子が穏やかになる。
 「おりますんで」
 言ったあとに、宮下に取り次ぐ気配が伝わって来た。
 この日に限らず、連絡がとれない場合でも、事務所を通しておけば宮下は必ず後から連絡をくれる男だった。この日は運よく事務所にいたのである。
 宮下はすぐ応答に出て来た。
 「何やあ?」
 第一声は相変わらずだった。
 「下の子が怪我をしたの。両足骨折で、今夜手術して入院しなきゃならないのよ」
 第一報に宮下は一瞬息を呑んだ。その空気は受話口を通してイチコにも伝わって来た。
 「何をしよったんや、あいつは。また、おまえ、悪いことばっかりしよったんやろが」
 怒るように言う。その口調には、イチコが知っている懐かしい響きがこもっていた。いっしょに暮らしていた頃、宮下は次男が何かやらかすと、こういう言い方をしていたのだ。その何かが友達との喧嘩だったりすると、宮下はいかにも嬉しそうに腹を抱えて笑っていたのである。あとから謝りに行くのはイチコであって自分ではないのだから平気だった。
 イチコは宮下の口調に少し安心した。嫌われているのは自分であって、けして子供ではないのだ、と思ったのである。
 「学校の二階から落ちたらしいの。他はどうもなかったんだけど、足の指の骨折がひどいの」
 「何をしよんやあ、ばかが」
 これも怒ったように吐き捨てる。
 「入院費を頼める?」
 「お? おお」
 「ちゃんと治してやらなきゃ」
 「おお、分かった」
 宮下は返事をするときは、いつもこんな調子である。
 やはり宮下が一番頼りになる、とイチコは内心のろけていた。分かったということばが、快諾でなくてもイチコはよいのである。宮下の分かったという一言は、確約と同じだからである。宮下のこの部分だけはイチコがずっと信じてきたところだった。
 「病院の保証人もしてやってくれる?」
 「おお、分かった。する。どないしたらええんや、そいつは」
 「いま家に帰るところなの。入院の準備をしたらまた病院に戻るから、書いて判を突いてくれたらいいだけよ。書類はわたしが持って帰ってるから」
 イチコは家に帰って来いという意味合いを含ませて言った。
 宮下が保証人を承諾してくれたことは意外だったが、イチコはそれについても素直に喜んだ。 
  

 
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