始発駅

「イチコの選択」では大変お世話になりました。無事連載を終えた今、このブログで何ができるのかを考えています。のんびりお付き合い頂ければ幸いです。

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試練(10)

 イチコが帰宅したのは夜の十時を回ってからだった。
 手術を無事終えた次男がICUに入ったのを見届けてから帰宅したのである。ICUは一泊だけということだったので夜が明けると次男は個室に移される。朝になったらイチコはまた行ってやるつもりで仮眠を取りに帰って来たのだった。
 ふとテーブルを見ると、書類と印鑑があった。書類には宮下の署名だけで捺印がされてなかった。このおかしな片手落ちのいきさつを長男に問うたところ、朱肉がどこにあるのか見当たらないというので、宮下は印鑑を放り出して帰って行ったということだった。そのときの宮下の様子を長男はおかしそうにイチコに話した。
 いつのまに作ったものかイチコには預り知らぬことだったが、水晶のでかい印鑑だった。おまえ、勝手に押して持って行け、と言わぬばかりに卓上の上に転がしてある。宮下はイチコが出て行ったあと、すぐ帰って来たと長男は言った。それを聞いたイチコは自分が完全に宮下に避けられていることを強く感じた。

 次男が個室に移った翌日、宮下からは「どないや?」という短い電話があった。
 「傷痛みが激しいの。今なら個室だから一回くらい覗いてやって」
 とイチコは言ってみたが、
 「俺の顔を見たら痛みがとれるんやったら、なんぼでも行ったるわい」
 その口調から宮下が見舞いに来る気などない事をイチコは悟った。子供の事ならするが、イチコには会いたくないということであろう。一週間程度の個室生活から次男は大部屋に移されたのだが、その間宮下はやはり一度も顔を見せなかった。
 
 イチコは次男の入院を理由に父親の退院を延期してもらっていた。病院に入っている方が安くつくということもあるが、退院されると実家の方にもしょっちゅう帰らなければならなくなり、その時間がないこともあった。要支援ではヘルパーさんにしてもらえることは知れていたのである。恥を忍んで父親の失態の話まで不二子さんに打ち明けて愚痴も言ってはみたが、こちらの方はダメ元そのものだった。彼女は大部屋に移った次男の見舞いに現れただけだったのである。結局イチコは宮下がいないとどうにもならなかった。これ以上嫌われて放り出されると、すべてが破綻することになる。
 イチコは宮下に入院費を頼んだことを早くも後悔していた。
 
 それからの次男の入院中というもの、イチコと宮下の関係は、イチコから入院費の催促のためだけに連絡を取るという、素っ気無い関係に終始した。
 次男の入院期間は二ヶ月以上に及ぶ長いものだった。
 病院の会計はどこも似たり寄ったりで、月二回締めのところがほとんどであるが、払う方は請求書がすぐ来るような気がするものである。こういう世事には疎い宮下もそう感じたのであろう。
 前半は黙って若い者に持たせてイチコの元に届けさせていた宮下だったが、後半には、
 「何でおまえは急に言うんや、いっつも」
 不機嫌丸出しだった。
 秘密をもっているだけに宮下の言うことばが、そのくらいの金なら自分で用意しろ、というふうにイチコには聞こえた。 
 やはり父親のことだけは言っておくほうがいい、とイチコは判断した。それを言うなら宮下に迷惑を掛けているわけではないのだから、働いていることも言わなければ意味がなかった。話し合いたいと思っていた事柄とはどんどんかけ離れて行くことになるが、単なる金目当てと思われたくなかったのである。
 「ごめん、病院はどこもこうなの。うちの親父のところもこうだから」
 イチコは思い切って言い掛けた。不二子さんのことは端から言う気はなかった。
 宮下は瞬時口をつぐんでいたが、
 「おお? 持って行かすわ」
 いかにも不機嫌そうに電話を切った。
 全部言い終えることができなかったイチコには、次男の入院が後味の悪いものとして残った。父親のことを話しても宮下が素通りしてしまったのも、イチコにはショックだった。
 

 
 
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コメント


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銀蛇様へ

 銀蛇さん、こんばんは。
 お返事、遅くなりました。
 理性ですか・・・・火事場で嫁と子供、どちらを助けるかというと嫁だという話を聞いたことがありますが、どこか似通ってますね。女に無意識のうちに母親を求めている感じがします――後ろめたいことばかりで心が満杯になっている宮下、会いになんか行きたくねえ、というところです。
 本編は三人称といえども、お金を追いかけるという中心軸を設けて謎を追う設定にしたため、視点をイチコに固定させています。
 が、これを完璧な三人称として描いた場合、どうなるのだろう――完結後、よくそんなことを考えます。ラストシーンは早くから決まっていたのですが、構成には最後まで自信が持てなかったです。
 私事ですが、何かの参考になれば、と思って記しました。あしからず――
 読んで下さるのはとても嬉しくありがたいですが、投稿のお邪魔にならない程度でよいですので。本日はありがとうございました。
 
 

紗羅の木 | URL | 2008年01月18日(Fri)02:09 [EDIT]

ご無沙汰してすみません;

ここまで読みました。
宮下は何を思っているんでしょうか;
一応父親らしい面は見せましたが……
まあ、男親は難しいといいますからね;
女性はもともと母性を持っていますが、男性は理性によってしか父性を持てないと聞いたことが;;;
不二子さんは相変わらず面の皮が厚いですね;

銀蛇 | URL | 2008年01月17日(Thu)20:43 [EDIT]

神瀬一晃さまへ

 こんにちは。
 頭痛の方、大丈夫ですか。
 最近、パソの前に座ることがほとんどなくなりました。デスクトップより、寒くなるとノーパソがいいですね。一台あるのですが、次男が離しません。
 そういうわけで最近はワープロを引っ張り出して来てそちらにさばってます。
 パソは音も嫌いですね。使い勝手はいいですが。
 読んで下さるペースはゆっくりでいいですよ。
 後半の辺り、説明不足の部分があるはずなのですが、もう少し寝かせておこうと思ってますので。
 ご訪問、ありがとうございます。
 
 
 
 
 

紗羅の木 | URL | 2007年11月11日(Sun)04:29 [EDIT]

 ども~。
 頭がぐわんぐわんする中パソコンいじってます。
 こんなことしているからいっつも治りが遅いんですよね……。

 ここまで一通り読んでみて、宮下もやっぱり父親なんだというところを、垣間見せて貰えた気がします。
 物心つく頃には既に父親という存在がいなかった私とっては、ああいうのが男親の愛情表現なのかな? と思うしかありませんが。

 まあ、数ヵ月後には金の催促になっているわけですから、苦笑いを零すしかないのですがw
 では、また。

神瀬一晃 | URL | 2007年11月10日(Sat)11:40 [EDIT]

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