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始発駅

「イチコの選択」では大変お世話になりました。無事連載を終えた今、このブログで何ができるのかを考えています。のんびりお付き合い頂ければ幸いです。

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試練(25)

 イチコは叔母とは三十年以上会っていない。
 この街で生活して長いのだから、市役所に出かける機会はいくらでもあった。それにもかかわらず、偶然の出会いもなかった。もっともイチコには幼い頃の記憶しかないのだから、叔母が通り過ぎても認識することはできなかったであろう。イチコは叔母の顔もろくに覚えていないのである。今頃になって受付で尋ねることを思いつくくらいなら、もっと早くそうしていればとっくに会えていたはずなのだが、イチコにはそれができなかった。
 亡母といっしょになってからも職を転々とし、遊びまわっていた父親である。金がなくなると、自分の実家にも無心に行っていた。叔母も無心をされた一人である。あげくに借金をして行方をくらました父親は、その結果実家の敷居が高くなったのであろう。実兄の葬儀にも出ることはなかった。
 父親は三人兄弟の真ん中である。両親を見送り実兄も見送った叔母はそんなイチコの父親についに愛想をつかして怒ってしまったのである。
 市役所の通路を受付の女性に教えられたとおり歩いて行ったイチコは、叔母のいる受付窓口の前で立ち止まった。カウンター越しにデスクに付いている職員の顔を目で追って一巡したが、みなが俯いているせいもあり、やはり叔母がどの人なのかよく分からなかった。
 「ちょっとお尋ねします」
 そのときちょうど用件伺いに立ってこちらに向かって来た若い女性にイチコは声をかけた。その女性に叔母の名前と面会希望で来たことを伝える。
 自分の名前を呼ばれてこちらに向かってくる女性は初老というよりは中年の若さだった。叔母の実年齢を知っているイチコには、その女性が実の叔母よりひどく若すぎる気がした。その女性を見ても、イチコはこの人が叔母であるという実感を持てなかったのである。
 叔母とみられるその女性もイチコの前まで来ると、まるで見知らぬ人から呼びつけられて、仕方なく用件を言い出してくれるのを待っているたたずまいだった。
 「父が入院しました。叔母ちゃん? イチコです」
 イチコはいきなりそう告げた。イチコの名前を聞いた目の前の女性は、はっと我に返り、
 「イチコ? 兄が? まあ、イチコなの? 分からなかったわ」
 そのびっくりした表情は一瞬でイチコの目に焼きついた。話が通じたのである。間違いなく叔母だった。
 「兄が入院してるのね? イチコ、時間はあるの?」
 叔母の問いかけにイチコは頷き返した。
 「ここで待ってて」
 叔母はいったん引っ込み、再び出て来たときには財布を持っていた。ここでは話ができないから地下の喫茶店に行きましょう、とイチコの先に立って歩き始める。
 「もう仕舞い際かもしれないけど、大丈夫。待ってもらうように言うから」
 と叔母は言う。やはり独身を通したのだ、とイチコは若い叔母の後を追いながら思った。
 ここまでにかかった長い時間に対する思い入れとやっと会えたという安堵感がイチコの胸中を満たしていた。
 地下の喫茶店なら待ち時間をつぶすためにイチコもこれまでに何度も使って来たのだ。それでも偶然は働かなかったのである。

 ホットをすすりながらイチコの話に耳を傾けていた叔母は、
 「腎臓が悪いなんて、うちには誰もそんな病気になる人いないのにねえ。でもイチコ、兄は元気なんでしょう? 手術もうまく行ったのよね? すぐには無理かもしれないけど、今度のお休みには覗いてみるわ」
 叔母はイチコの「最期になるかもしれないから」ということばを大げさだと思ったようだった。イチコは叔母が行ってくれるのなら何でも構わなかった。
 「叔母ちゃん、長い間ごめんね」 
 イチコは話の最後にそれを伝えた。
 「いいのよお、イチコ。わたしも意地張ってたから。イチコが訪ねて来てくれるなんて思ってもなかった」
 そう言って笑った叔母の笑顔をイチコはじっと見つめていた。
 

 
 
 
 
 
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コメント


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OTムービーさまへ

 こちらこそコメントまで頂いて、恐縮しております。
 多くの心に残るシーンを演出されていることに脱帽です!
 お名前のとおりと納得しております。
 今後もご活躍のほどお祈り申し上げます。

紗羅の木 | URL | 2007年08月20日(Mon)10:17 [EDIT]

紗羅の木さま
残暑お見舞い申し上げます。
こっそり見ていただいてありがとうございます。来週の火曜から地方に行くのでしばらく休載します。またよろしくお願いします。
仕事が落ち着いたらあらためてコメントしたいと思います。

OTムービー | URL | 2007年08月19日(Sun)03:29 [EDIT]

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